空襲激しい戦争末期、戦闘機『雷電』を製造した地下工場施設の名残り。かの三島由紀夫も勤労動員していた。戦後は米軍の進駐とともに、こういった地下施設は埋められ、そのほとんどが地下に消えた。総延長1.5kmにおよぶ広大な地下壕だったが戦争遺構として一部が残った貴重な場所です。
※置いてある雷電はレプリカです。粋な計らいですね!
※座間市の隣には厚木米軍基地(自衛隊と併設)があり今でも軍用機が活発に飛んでます。
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三島由紀夫
敗戦当時は神奈川県高座郡にあった海軍工廠(軍需工場)で勤労動員されていた。彼は当時の様子をその自伝的小説『仮面の告白』において次のように描写している。
”私は図書館係と穴掘り作業に従事していた。部品工場を疎開するための大きな横穴壕を、台湾人の少年工たちと一緒に掘るのであった。この十二三歳の小悪魔どもは私にとってこの上ない友だった。かれらは私に台湾語を教え、私は彼らにお伽噺をきかせてやった”